■ 呼吸−breath
−石川裕敏・長尾圭・満江英典


□ 展覧会概要
石川裕敏・長尾圭・満江英典
この展覧会のタイトル「呼吸−breath」とは作品から発せられる
「佇まい」を意味すると共に、画家が画面と対峙する間合いや息使い、
スタンスのとり方も含めた絵画を語る上での重要なキーワードとなる言
葉です。絵画の解釈は昨今、多岐にわたりメディアの垣根を越えたボー
ダーレスな広がりを見せています。しかしながらかつて存在していたは
ずの豊潤さは希薄となり、理論と斬新さが先行する奥行きのない平板な
見方が存在しているのも事実です。今回の出品者は、三者三様のアプロ
ーチをとるものの、共通して言えるのは描くことでしか出来ないオーソ
ドックスな呼吸法−breathを基軸に、絵画を展開し続けている作
家達です。それらの作品が一空間に出現した時どのような空気を生み出
すのか、作品を前に皆様の全身で感じ取って頂ければ幸いです。

□ 石川裕敏


□ 略歴
1968 大阪府生まれ
1991 大阪芸術大学芸術学部美術学科卒業

個展
1991 ギャラリー白                   (大阪)
1992 ギャラリー白                   (大阪)
1993 ギャラリーココ                  (京都)
1994 ギャラリー白                   (大阪)
1995 ギャラリー白                   (大阪)
1996 ギャラリー白                   (大阪)
1997 ギャラリー白                   (大阪)
2001 WATERSIDE       (ギャラリーエスプリヌーボー・岡山)
   The sign of water          (ギャラリー白・大阪)
   The general weather conditions     (日下画廊・大阪)
2002 TENBA−A                  (大阪)
   The sign of waters  (ギャラリーエスプリヌーボー・岡山)

グループ展
1991 Orphan Drug            (ギャラリーココ・京都)
   NEW FACE       (ギャラリーVIEW・大阪)
   BEYOND            (ギャラリー白・大阪)
   翠雨の旋律             (ギャラリー白・大阪)
1993 LINE−循環としてのマトリックス
                 (クリスタルギャラリー・大阪)
1994 イメージの鍛練           (ギャラリー白・大阪)
   アートナウ’94−啓示と時間 (兵庫県立近代美術館・神戸)
1996 ペインタリネス II         (ギャラリー白・大阪)
   アーティストファイル   (愛知芸術文化センター・名古屋)
1997 1ダースの水槽       (ガレリアフェナルテ・名古屋)
   現代美術10人展         (京阪ギャラリ−・守口)
1998 アーティストファイル   (愛知芸術文化センター・名古屋)
1999 Compact Disc−CDというメディアの響宴
              (神戸アートビレッジセンター・神戸)
   Radiant Ocuurrence−放射する出来事
            (名古屋芸術大学ギャラリーBE・名古屋)
2000 水辺−Insight of side          (日下画廊・大阪)
2001 ペインタリネス V         (ギャラリー白・大阪)
2002 VOCA展2002        (上野の森美術館・東京)
2003 呼吸−breath            (ギャラリー白・大阪)

□ 長尾圭


□ 略歴
1969 大阪府生まれ
1992 大阪芸術大学美術学部美術学科卒業

個展
1991 オンギャラリー                  (大阪)
1993 ギャラリー白                   (大阪)
1994 ギャラリー白                   (大阪)
1995 ギャラリー白                   (大阪)
1999 Oギャラリーup・s               (東京)
2000 ギャラリー白                   (大阪)
2001 ART SPACE Life−Passage              (東京)
   Oギャラリー                   (東京)
2002 ART SPACE Life−Passage              (東京)
   オソブランコ                   (大阪)
2003 オソブランコ                   (大阪)

グループ展
1990 NEW FACE       (ギャラリーVIEW・大阪)
1991 翠雨の旋律             (ギャラリー白・大阪)
1994 イメージの鍛練           (ギャラリー白・大阪)
1996 ペインタリネスII          (ギャラリー白・大阪)
1997 ペインティング−成熟のあと        (番画廊・大阪)
1998 光脈の湧出             (Oギャラリー・東京)
2001 Congress hall     (セルフソウアートギャラリー・大阪)
2003 呼吸−breath            (ギャラリー白・大阪)

□ 満江英典


□ 略歴
1969 兵庫県生まれ
1992 九州産業大学芸術学部デザイン学科CRデザインコース卒業

個展
1993 ギャラリー白                   (大阪)
1994 ギャラリー自由空間                (大阪)
1995 ギャラリー白                   (大阪)
   ギャラリー自由空間                (大阪)
1996 ギャラリー白                   (大阪)
   ギャラリーそわか                 (京都)
   東京SALON                  (東京)
1997 ギャラリー白                   (大阪)
1998 ローズガーデン                  (神戸)
   ギャラリー白                   (大阪)
1999 ギャラリーそわか                 (京都)
2000 ギャラリーエスプリヌーボー            (岡山)
2001 ギャラリーエスプリヌーボー            (岡山)
2002 ギャラリーエスプリヌーボー            (岡山)

グループ展
1995 THE LIBRALY           (ギャラリーそわか・京都)
1996 洛外芸術展             (ギャラリー白・大阪)
1997 制度からの逸脱           (ギャラリー白・大阪)
   1ダースの水槽       (ガレリアフェナルテ・名古屋)
   THE LIBRALY           (ギャラリーそわか・京都)
   CONTEMPLATIONS EXHIBITION
          (ワールドワークスファインアート・アメリカ)
1998 VOCA展’98         (上野の森美術館・東京)
   制度からの逸脱           (ギャラリー白・大阪)
1999 Radiant Occurrence−放射する出来事
            (名古屋芸術大学ギャラリーBE・名古屋)
2000 水辺−Insight of side          (日下画廊・大阪)
   空漠の回廊             (Oギャラリー・東京)
   INCUBATION '00         (京都芸術センター・京都)
2001 さまざまな眼  (かわさきIBM市民文化ギャラリー・川崎)
2003 ArK FIRST         (カサハラ画廊・大阪)
   呼吸−breath            (ギャラリー白・大阪)

□ 展覧会によせて
館勝生(美術家)
絵画に限らず、作品はなんらかのかたちで、その作り手の意思や価値観
の表現であり、それと同時に作品制作を通じて自己言及、つまり作品に
反映された作り手である「わたし」の価値観はどのように形成されたも
のなのか、「わたし」の価値観を表現することにどのような意味がある
のかという根源的な問いを伴わざるを得ないように思われます。
もし作り手である「わたし」が他者や社会との関係が明確であり自己の
定義と他者による「わたし」に対する定義が相互に矛盾が少なければ、
意識的に自己言及を伴う制作にむかう必要はないのかもしれません。そ
の意味で作品制作は、自己の存在意義に対する心理的危機感の表出であ
り、作り手はその危機感を克服するために制作に向かっているともいえ
るかもしれません。
「わたし」は確実に個人的なリアリティであるけれども、その本質は、
他者という鏡によって規定され、社会によって形成されています。した
がって、他者によって「わたし」という自分自身の定義も多面的で流動
的になります。このように作り手が拠って立つ自己というのは、絶えず
流動的な不安定さを伴っており、社会と他者の関数であり、それゆえ矛
盾を個人の内部にかかえこんだ複合体であるのかもしれません。
しかし人間は他者の態度や期待をそのまま受け入れ、他者や社会によっ
て規定しつくされてしまっているのかというと、そうではありません。
他者の自分に対するイメージや期待をそのまま受けいれた「わたし」の
側面に対して、自然発生的な反応が「わたし」の内部に生じます。その
反応は、感情や感性に突き動かされる主観的なものであり、新たなもの
を生みだす創発性の側面でもあります。
このふたつの「わたし」の対話のプロセスの中で作品は創造されます。
しかもそれは他者との関係を大前提として成立し、社会を取り込む能力
と、社会に個性的に反応する能力の二つが備わっている過程−社会性と
個性のダイナミズムであり、その作り手の「過去の結果としての現在」
と「未来の原因としての現在」における「わたし」の生と等価なもので
す。
絵画は自由になったのかもしれません。しかし「わたし」は不自由で、
手に負えない存在です。「わたし」に対して何の疑いもなく作品を作り
続け、「わたし」を表層的な日常生活の自明性の中に埋没させることな
く、根源的な問いかけの必要性を強く感じます。