□ コメント
時が経って振り返った時にはじめて気がつく大切なモノや時間。それは
例えばほんの小さなシミのようなものであったり、匂いや手触り、そし
て目を閉じるとかすかに憶いだされる懐かしい気分であったり…。言葉
では説明しにくいけれど確かにあるその感覚を、日々の暮らしの中で出
会ったモノや、自分にまつわる布や写真などをきっかけに引き出してみ
たいと思っています。
世界の今の状況を考える時、自分の存在はあまりにもちっぽけだけれど
も、こんな時代だからこそ小さな美の力を信じ、丁寧な毎日の中に大切
なことは何かを探していきたいと思うのです。
そして、引き出した感覚に今の私を正直に重ねることがまさに作品制作
であり、またそれが未知の自分の考えや感覚へと自然に繋がっていくこ
とになればと思います。
「箱アルバム」
思い出にまつわる布切れや写真の断片、そして普段の生活の中で出会っ
たモノなどからイメージを立ち上げて、色や形を展開させていきます。
これは自分の内側のまだ気づかずにいる感情や思いを引き出そうとする
試みで、箱のような小さなフレームにそれらを大切に納めるというかた
ちから「箱アルバム」と名付けました。’98年頃から継続して作って
いるシリーズで、心の風通しを良くする体操のような役割をしてくれる
作品たちです。
「ジェリー」
この作品が出来上がってから長い間、言葉を探していました。どこか懐
かしい感情であって、しかし大人になった今ではもうすっかり忘れてし
まっているような気持。それを表わすのにぴったりの言葉はないかと思
いを巡らすことは、とても楽しい時間でした。「ジェリー」とは、あの
お菓子のジェリーです。子供のころセロハンに包まれたそれは、色とり
どりにキラキラと輝く宝石のようでした。「ジェリー」という言葉を心
の中で呪文のようにくり返してみると、ほんの少しあのときめきが蘇っ
てくるようです。
「カエロウ」
昔、まだ鋪装していない砂利の坂道を登ったところに公園がありました
。愛想のないジャングルジムや少し錆びたブランコ、あとは小さな滑り
台と草の生えた広場が一つあったでしょうか。飽きることなく通ったそ
の公園は、夕暮れ時の光景と共に私の中に記憶されており、この絵の出
発点でもあります。「もう帰らなきゃ」という思いと「もっと遊んでい
たい」という気持が子供の私の中で入り乱れて…。母親の「早く帰って
らっしゃい」という言葉の温かさに、その時はまだ気づくことさえなか
ったのでした。「帰ろう」と思うときに「帰る」場所があることが、当
たり前だった子供時代。大人になった今この言葉「カエロウ」をつぶや
くことによって、不安や悲しみの中にある時にでも、その頃の温もりを
ひきだせるような気がして、このタイトルにしました。あえてカタカナ
にしたのは、日本語としての言葉の印象をを少しやわらげたかったから
です。
「NIKKI」
竹製カゴの左右の大きさが違うことからも分かるように、これは蓋つき
の容れ物です。ある日家族のひとりが職場の焼却炉の中に見つけ、あま
りにも無傷なそのケースを不憫に思ったのか、はたまたその使い込まれ
た物自体が放つ美しさに惹かれたのか、とにかく家に持ち帰ってきたの
でした。はじめのうちは「誰が捨てたんだろう」とか、「どのように使
われてきたんだろう」とかそんな思いが先に立ちましたが、それから2
年ほど我が家の壁にあるうちにすっかり風景として馴染み、と同時にじ
んわりと作品のイメージが湧いてきたのでした。2つの竹製カゴを横長
のパネルでつなぐことを思いついた時、「NIKKI」というタイトル
が浮かんできました。これは「日記」の意味合いと「ニッキ(シナモン
)」の色や言葉のニュアンスの2つをからめて引き出した言葉でした。
ところが制作の途中で、ついに世界では戦争が始まりだし、私の中でも
この作品に対する意味合いが急速に変化していきました。振り返った時
の漠然とした懐かしい日々を指すはずであった「日記」の意味合いは、
ついに踏み超えてしまったその日“2003年3月20日”を示すよう
に変っていったのです。忘れてはいけない、現実をしっかりと知らなく
てはいけない、人ひとりの命にまつわる多くの思い出や家族の存在をリ
アルにイメージしなくてはいけない。そんな強い思いを少なからず絵の
具や形の重なりのとして「日記」にとどめておきたいと思いました。私
の平和を祈る気持は、この戦争に対する強い嫌悪感にも比例しています
。しかし今の私にいったい何が出来るでしょうか。何をなすべきなので
しょうか。作品という鏡の前で、この戸惑いと後ろめたさにどれだけ正
直になれるのかという問いを、自分自身に突き付けるべきだと思うので
す。作品「NIKKI」はこうして生まれました。 |