□ 展覧会テキスト−出川哲朗(大阪市立東洋陶磁美術館学芸課長)
「小松純の最近の仕事」
小松純はこれまで、ほとんど毎年、作品を発表してきている。初期の作
品から、これまでずっと、土を素材として制作してきた。土が小松純に
とって、もっとも表現を可能にする素材であったからである。
小松純の制作態度は、これまでの作品の延長線上にある構想に基づき、
作品自体の論理に従って着実に作品を作り上げいく。
まず、ラフなスケッチを描き、それに基づいて小型のプロトタイプを焼
成する。この段階ではいわゆる手で考える作業ではない。きわめて理知
的なまるで建築作品を作るような態度である。あるいは壮大な彫刻作品
を制作するときと同じプロセスである。
次に設計図面を描きながらさらに構想を練る。そして、全体をいくつか
の部分に分割し、原寸大のボードを作成する。そして、そのボードに形
を合わせながら、自ら調合した陶土を手びねりで少しずつ、成形してい
くのである。慎重に成形し、表面を整え、穴を開ける制作過程は陶芸作
品の根幹を成す表現部分といえる。長年の制作経験に基づいて、焼成後
の明確なイメージを描きつつ、表面を仕上げていく。
この後、乾燥、白化粧、焼成と一連の作業にも高い陶芸技術が要求され
る。これも、小松純は一人でやってのける。陶芸作家ならば当然の技術
であろうが、これらの制作プロセスをすべて一人で行うのは大変な根気
と情熱が要求されるのである。そして、分割された作品の部分をボルト
で組み上げていく。
構想から完成まですべて独力でおこなうのは作家としての当然の制作態
度であるが、プロトタイプを用いて、全体像を点検しながら、巨大な作
品を仕上げいていく行為そのものが、芸術作品なのであろう。作品その
ものだけではなく、構想から作品の完成に至る一貫した行為の全体像こ
そが作品と呼ぶにふさわしいものである。
陶磁器の制作においては、技術的な完成度と量産を追求するあまり、分
業化が進んできた歴史がある。しかし、陶芸の作家は作品として完成さ
せるためには全体の制作 プロセスにかかわるのが当然であろう。
小松純の初期の作品から現在までをたどってみると、彼はまず粘土を積
み上げることから出発していた。粘土を重ねて、次第に大きな構造物を
作り上げていく。部分の集積体が全体の構図をなしている。少しずつ、
重ねる行為によって、まるで増殖するイメージをつむぎだしているので
ある。
作品は次第に拡散し、また棒状にあるいは角状に延びていくのである。
彼の作品は積み上げから、今度は単体へと発展している。膨張する造形
は緊張感を保ちながら、ひとつは丸くなり、一方は細長く伸びていく。
ある程度拡張した造形はその表面に不規則な穴が生じてくる。2002
年ごろから発表した作品では円盤の裏側に丸い穴があけられている。密
かに出現した穴は、2004年の作品ではほとんど全面に規則正しい穴
が現れている。
小松純の造形はきわめて必然的な変容を示しているといえよう。
今回は長さ3m50cmにも及ぶ3本のつめのような弓形の造形とその
下に、枕のよう形のボディが支えている。作品の大きさはもはや人間の
サイズを超えているのである。陶芸のイメージから連想される大きさの
ものではない。
小松純の仕事はこれまで一貫した態度を持っている。常に変容しながら
成長してきている。作品を時系列で見ていくとその傾向はいっそうはっ
きりしてくる。ひとつひとつ作品が緻密な構成に基づいているのと同様
に、これまでの小松純の作品の全体像が彼自身の思索と創造の過程を示
している。いわば、成長する作品群であるかのようだ。
さらに興味深いことには、工房横の野外に置かれている彼の作品が、環
境の影響によって、変化していることに対して、小松純はその変化を肯
定的に考えていることである。つまり、作品は作家の手による制作完了
後も変わっていくことを意図しているのである。鉄の部分は銹つき、胎
土の隙間に入った植物の種子が発芽して、次第に自然環境の中に溶け込
んでいく。
まさに、小松純の作り出す作品は発表ごとに深まりを示し、作品固有の
論理に従って、変容して来ているのであるが、制作された作品それ自体
もまた、年々環境に応じて変化を遂げていくことが期待されているので
ある。
小松純の作品が内包する論理とは増殖から変容へというもので、陶芸の
もつ素材の特性を最大限に生かしきった作品といえるであろう。陶土の
もつ性格と扱いに熟知した小松純ならではの仕事である。作品そのもの
に生命が与えられ、すべての生物と同様に成長し、変容し、やがて朽ち
果てていく過程をたどるのである。制作される作品そのものに小松純の
思考過程が内包され、制作された芸術作品にはそのはかなさと貴重さが
見事に表現されている。 |