□ 展覧会テキスト−尾崎信一郎(京都国立近代美術館主任研究官)
「清水六兵衞の新作」
清水六兵衞は陶という表現の中に沈潜するのではなく、様々な表現との
関係を通して自らの作品を鍛えてきたように思う。多くの作品が求心的
というよりもむしろ遠心的であり、設置される空間との関係を一つの主
題としていた点はこのような姿勢と関わっている。展示空間と積極的な
関係を築くためにはある程度の大きさが必要とされるが、清水は作品を
ユニットとして構成することによって、陶という表現が不可避的に帯び
るスケールの制約を回避することに成功した。
これに対し、単体によって構成される新作は比較的スケールが小さく、
完結した印象が強い。しかしそこには清水の作品に特徴的ないくつかの
対比が巧妙に導入されている。直立する直方体とそれを分断する板状の
広がりにおける垂直と水平という二つの軸、内部を閉ざした直方体と、
内部が開かれた直方体の対比、直方体を構成する直面と自重によってし
なる曲面の対比、釉薬の効果によってスクリーンのように外部を写しこ
む可視的な表面とその背後に広がる不可視の表面。
直方体を横向きに分断し、水平方向に広がる支持体の貫入はこれまでに
例のない構造であり、新作の大きな特徴といえよう。一方、幾何学的な
構造に穿たれるスリットはさらに幅が広がり、作品の内部と外部という
二つの空間を直接に結びつけている。清水の作品において開口部が建築
における窓を連想させる点をかつて私は指摘したが、新作における開口
部の広がりは逆にそれが穿たれた面そのものの存在感を強調するかのよ
うである。作品の表面は金属的な質感を帯びた釉薬の効果によって、そ
の上に直交する直方体や周囲の風景を写しこむ。このような効果からは
かつてジャッドやモリスがアルミニウムや鏡を用いて作品の中にその外
部を映しこんだことを連想させる。この点は新作もそれ自体で完結する
のではなく、周囲の環境の反映を重要な要素としている点を暗示してい
る。かたちもさることながら作品の面的な構造が強調された結果、観者
の意識は作品がはらむ空間や構造以上に、それらを成り立たせている表
面そのものへと向かう。この時、清水の作品が陶として実現されるべき
必然性もまた明らかとなる。ユニットの接合部の微妙なあわい、内部と
外部の空間の連結、この数年清水が続けてきた仕事は一見彫刻や建築に
連なりながらも、陶でなくてはありえない可能性の探求であったといえ
よう。新作においては新たに表面をめぐる可能性がこれに加わる。なぜ
ならジャッドにおけるアルミニウム、モリスにおける鏡が所与の表面で
あるのに対し、陶における表面とは作家が自ら創造する対象である。さ
らに陶における表面とは空間的な産物であるだけでなく、成形から焼成
にいたる時間的な産物でもある。表面という主題はこれまで空間との関
係を主たるテーマとしてきた清水にとって新たな方向を示唆しているの
ではなかろうか。清水は様々なテーマをめぐって陶で何ができるかでは
なく、陶でなければできないことは何かという問いかけを追求してきた
といえよう。間隙、連結される空間、そして表面。これらの主題が混然
かつ明瞭に提示される新作もまた陶という表現をめぐる作家の進境、そ
の結実の証として間然するところがない。 |