□展覧会テキストー藁科英也(千葉市美術館学芸係長)
「創造と継承」 八代清水六兵衞の「相対形象」シリーズは、2年前の2006年暮に開催されたギャラリー白の個展で初めて発表された。この時は、画廊の展示台の上にやや離して並べられたふたつの直方体を中空で結びつけるように、同じ材質・釉薬によるタタラ(土の板)が水平に配された作品が中心だった。面の四隅は中空でぴんと張ってはおらず、焼成と重力に従い下方に垂れ下がっていた。この個展は純粋な立体造形の発表だったが、以後作者は器物の傾向が強い作品にも、この水平面を要素として導入している。1980年代以来、作者が追求し続けていた幾何的なかたちには、厳密さと端正な佇まいあった。しかし、新たな要素の導入によって、清水が従来制作していたかたちは、「もの」であるー箇の作品の中でボディとして物理的に中心性は保持しながらも、完結した存在ではなくなった。 異なった構成要素を組み合わせるという清水の作例は、今日まで続くこの連作が初めてではない。彼の最初期の活動である1981年、ギャラリー・カト(京都)で開催されたグループ展「陶九会」で発表された作品「無題」(1981)は、轆轤で成形された円筒(接地面は塞がれている)の側面に、辺だけの立方体が三(ないし四)個取り付けられていた。「無題」における立方体が「相対形象」の水平面と類似した性格、作品を構成する主要な部分を作品全体の中で相対化させる機能を担っていることは、両者の比較から確かめることができる。その後、「無題」の曲面と直線は’83年の朝日陶芸展でグランプリを受賞した「CLOSE SPACEーI」に代表される、上部に撓んだ面を持つ直方体のユニットによる構成へと収斂した。 もっとも、「相対形象」を清水の初期作品の変奏としてのみ理解することはできない。水平面が示す重力は、単なる物理的現象に止まらず、作品とそれが置かれた場の関係を明らかにしている。前述の、1981年に制作された「無題」での純粋に幾何的な形態の組み合わせでは、三次元の中で「作品」独自の空間を所有することを目指していた。現在の作者は、作品にもっと生(なま)な、リアリティのある空間を取り込むことを意図している。さらに、この観察を推し進めると、水平面は接地面(台座や床、あるいは大地)の写像が作品に取り込まれたものであると見なすこともできる。「相対形象」の場合、ボディが重力に抗して構築されることで自律的な作品の空間を生み出していることに対して、水平面は作品が設置されている空間の物理的な性格を顕在化する。つまり、単に異なった要素の組み合わせだけに止まらず、それぞれの要素が有している空間の質も違うことになる。 清水によれば「相対形象」は三次元の現実的な空間を文節化し、再統合を図る試みであるという。これは「もの」である作品の成立過程がそのまま新たな空間の統合を目指す行為であり、戦後の日本彫刻において提案されながらも現在中断されたままとなっている作品を構成する要素間の、そして作品と設置された場所との、“affinity(親和)”を再び問う作業でもある。
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