□ コメント
小学何年生かの夏休み、父に連れられ南紀の山へ昆虫採集に行った。
昼なお暗く、鬱蒼とした森は、積もった落ち葉がふわふわとして足元も
頼りなく、むっとするような香気が漂う。まだらな木漏れ日の中、かた
ちこそ判然とはしないが、そこかしこにざわざわと生き物の気配が満ち
ている。
目が慣れると、樹の幹やそこいらにおびただしいくらいに虫たちがいて
夢中で補虫網を振り回した。私のようなトロい子供でも、あっという間
に虫かごがいっぱいになってしまうほど豊かな森だった。きれいな翅の
大きな蝶をはじめ、トンボ、節くれの虫、羽虫、甲虫、名前も知らぬあ
れこれの虫が狭いカゴにうごめく様子を目を丸くして見つめていた。
あくる日、玄関に吊るしてあったカゴを見ると妙にがらんとしている。
みんな逃げてしまったのかと驚いてよく見ると、翅や胴の一部が転がっ
ているだけだった。狭く小さなカゴに閉じ込められていたので、一気に
共食いをしてしまったらしい。その無残な結果に胸が痛んだ。
自然の秘密をこっそり持ち帰ろうとしたことを神様は許してくださらな
かったのだろう。小さな虫カゴの美しく珍しい虫たちも、自然の摂理の
なかに生かされ消えていく。その容赦のなさ。
幼い魂に生命のダイナミズムを垣間見せたあの森は、まだ残っているの
だろうか。 |