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| この10年近くの間に、「The sign of waters(水の様子)」と題した水平方向のストロークの構図による油彩作品と「Pick up drops(水滴の採取)」と題したクレヨンによるドローイング(1日1作品限定制作)、及び点描を主とする油彩作品を同時平行的に制作してきました。
タイトルに「水」を連想する言葉を選んでいるのは、握るとこぼれてしまう捉えがたい「色」を形容する言葉として使用してきました。
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| 見た目に印象の違う2テーマの作品群ですが、どちらも制作過程としては描くモチーフを設定するというよりも、キャンバスもしくは紙(私はフィールドと捉えます)に対して、絵具という色彩を伴った物質との戯れに身を委ねているといったほうが近いかもしれません。
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| 描かれる前のフィールドの「白」の美しさにのまれてしまう前に、主に三原色から作る「黒」で地塗りの様な作業で描き始め、その地塗りの様な作業を幾度となく繰り返す間、前に塗られた色に呼応するように明度、彩度が変化していき、時に色相の変化を招きながら画面は物質的な質量が伴われていきます。そうして出来た、ほぼ無地の画面は微妙な表情を表し、その表情を手がかりにさらに構図や色やライン等が徐々に決められていきます。
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| 比較的シンプルな単純な作業で進められた画面は、最終的には筆の止め処というものが増々難しくなっていきますが、色の濃淡や筆触、構図や質量といった、絵画を構成する要素が画面内で関数的にバランスが整っていき(これはいささか疑問が残り、バランスが整っていると自分が勝手にそう思っているだけかもしれませんが…)、その画面を長い間眺められる、言い換えればそうして出来た画面を愛おしく感じてきたあたりで、その絵の終着点が決定されていくようです。
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| 引かれたラインや色1つで何か現実にあるものをイメージしてしまう感覚は、元々人間に備わった能力の1つであるのかもしれません。そう考えると日常生活において特に意識してなくても意外に目に映ってしまっている時間や光景、肌といった感覚と、色彩を伴った物質の戯れとの間で立ち表れた画面が、時間と記憶の淵をかすめるようなイメージで画面をとおしてクロスオーバーする処に、ひょっとしたら絵画の魅力が潜んでいるのではないかと感じてやみません。
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| 筆を止めた、もしくは向かい合った画面は、行為と時間と記憶の蓄積されたひとまずの記録物。日々の生活としての、例えるなら「天気概況(The general weather conditionns)」とでもいえるでしょうか。そのような感覚としての記録行為が、その先いったい何処へ向かって行くのかは、制作という実証でもって結論を急がずにゆっくりと見ていきたいと思っています。
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2008.2.20 石川裕敏
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