私がはじめて杉山泰平氏に会ったのは今から20年以上前の1990年頃ではなかったかと記憶している。滋賀県で開催された若手対象の陶芸展のキュレーションを依頼されていた私は、当時イタリア留学から帰って間もない彼をそのひとりとして選んだ。その頃の彼の作品は同じ形態のものをいくつかつくり、それを組み合わせるという、一種のモデュールの考え方を取り入れた作品だった。その頃、私自身も何度かイタリアへ陶芸の調査に行っていて、彼の作品と同じモデュールの考えに立つ作品をいくつか見ていたため、杉山の作品を無理なく受け入れることができた。イタリアの陶芸にはローマ時代から続く彫刻の伝統に根ざしたものと、タイルなどの建築装飾から発展した二つの流れがあるように、当時の私は考えていた。杉山の陶芸も後者の系譜に見えたのである。現代陶芸の国際化を推し進める作家のひとりとして、彼に期待をかけての選考であった。
その後、何年かに一度、彼に出会い、また彼の作品を見ることがあった。過去の私の勝手な思い込みなどと関係なく、彼は自分自身の作品を展開していった。そして今回は数年ぶりの個展だという。彼の作品は一貫してデッサンからつくられる。今回は三枚の若葉のような、あるいは花弁のようなかたちをモティーフにアイデア出しがはじまった。彼の記憶に残る、40年前の火事で命を落としたかわいい3姉妹のイメージだという。50号ほどの大きさの紙に大小様々な3枚葉のようなかたちが描かれていく。この作業は個展を前に、成形や焼成という陶芸作品には不可欠な過程に要する時間から逆算して、ギリギリまで続けられるという。
ここには我々が抱くいわゆる陶芸家というイメージとは異なる存在を、見てとることができる。陶芸家は土と対話しその中からかたちを作り作品を生み出していくという、前近代的でもっともらしい陶芸家の姿はそこにはない。むしろデッサンを通して自らのうちにあるイメージにかたちを与えようとする近代的な芸術家の姿である。そのデッサンも下絵的な要素の強い画家のものとは違い、むしろ立体物を想定して描かれた彫刻家的なデッサンである。やがてデッサンされたイメージは、磁土を使い楽焼の手法で作品に仕上げられたという。前例にとらわれない素材や技法へのアプローチも、自立した芸術家としての杉山なら、そう奇異にも見えない。
このような杉山の姿に、20年前とは異なる彫刻家としてのイタリア陶芸家の姿勢を重ねるのは、そう無理なことでもないだろう。イタリア陶芸は彫刻家的かタイル的かといった浅薄な二元論とは関係なく、若き日に吸収したイタリア仕込みの芸術家としての方法論は今でも杉山のなかで一貫しているようだ。
土という偉大な素材を前に、芸術家という自らの存在を見失いがちになる陶芸家も多々見かけるが、陶芸も近代芸術の一分野であることをその方法論においてみずから実践している杉山の姿は、今さらながらに貴重なものに思えるのである。
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