岸本吉弘(1968−)は、彼の画歴の最初期より、モダンアートの一大転換点である抽象表現主義の芸術と向き合い、その伝統の今日的展開の可能性を探ってきている極めて堅固な画家である。
岸本が描くのは、いわゆる〈抽象〉の絵画である。ともすると今どきの眼には時代後れに映るだろう。であるならばしかし、「時流に乗る」とか「時流に後れる」とは、いったい何であろうか。そして、そこにどれほどの意味があるのだろうか。
岸本がコミットしてきているのは、時代の流れの中で既成の土台の上っ面で起こり、そしてこれからも起こっていくであろうイメージの浅薄な交代劇などではなく、キャンバスというものが在り、絵具というものが在り、そしてキャンバスに絵具を置くということはどういうことか、という根本的なレベルからの、「絵画」というものに対する本質的な問いである。それを探求する中で、彼にあってはその絵画はいわゆる〈抽象〉というかたちで現れてきているということであって、それは決して自己目的化した「抽象のための抽象」ではないし、そして、その探求の先に絵画芸術の今とこれからを見出そうとする彼にとって、その探求は「時流に乗る」とか「時流に後れる」とかの問題ではまったくないのである。いま私が深い共感と支持をもって彼を「極めて堅固な画家」と呼び、彼のこの時世にあって困難な仕事が持つ可能性に強い期待を寄せる所以である。
岸本吉弘は、武蔵野美術大学在学中の1990年代初頭より発表を始めた。同大では卒業制作優秀賞、修了制作優秀賞を受賞している。また、1997年の第26回現代日本美術展(東京都美術館、京都市美術館)では大原美術館賞を受賞している。ここで1990年代の岸本の仕事を振り返って見ると、それらはすでに相当の画力を示しており、彼が他の同世代やより若い世代の画家たちと比べて、珍しく絵の描ける画家であることを改めて認識させてくれる。
とはいえ、手厳しく言えば、それらの初期の仕事は1950年代にウィレム・デ・クーニングに追随した亜流の抽象表現主義者たちの絵画の、さらなる亜流の観が否めないことも事実である。そのような岸本の絵画の画面に重要な変化が現れ出すのは、2000年前後のことである。それは、「ストライプ」というモティーフの登場である。
岸本は近年発表した「オールオーヴァー絵画の展開」という論考の中で、「絵画の平面的かつ正面的な特性を追求する場合、オールオーヴァーとは、逃れることのできない宿命であるともいえよう」(1)と述べているが、画面全体を均質的に取り扱うオールオーヴァーな様式は、彼がジャクソン・ポロックに代表される抽象表現主義の芸術に見た最大の特徴であった。そうして岸本は、自身の制作においてその様式に意識的に取り組んでいった。しかしながら、抽象表現主義絵画のオールオーヴァーネスを現在において焼き直すことは、彼にとってもちろん意味のないことであった。その様式を自分として再解釈し、そこからいかに新しい絵画構造を生み出すか。それが彼の問題であったが、そこで重要な役割を果たしたのがストライプというモティーフであった。
岸本が描く左右方向のペインタリーなストライプは、それぞれ観者の視線を画面側方へと導き滑らせてゆく。画面全体としては、各部の色彩、形状、肌理等の違いから奥行の感覚が必然的に生じるが、ストライプがもたらすムーヴメントが強いため、その作用によって、全面が側方に浅く統制されつつ広がっていくという空間構造が作り出される。そうして岸本の仕事は、抽象表現主義のオールオーヴァーネスの文字通りの均質性からの彼独自の展開形を見せている。
そのような先に2007年に生み出された《NARAI−Hidden Dragon》は、岸本の画歴における記念碑的作品であり、彼がそれまで深く関わってきた戦後アメリカ絵画への一つの集大成的応答と言える作品である。岸本はしばしば「モダニズム絵画の継承者」、「黄金期のアメリカ絵画の継承者」などと評されてきたが、この作品の制作によって、彼はそのような呼び名に真に値する存在となったと言ってよい。
《NARAI−Hidden Dragon》は、岸本が現在までに描いた絵画の中で最大を誇る。高さ2メートル強、幅6メートル弱という巨大なサイズは、ポロックの《秋のリズム》やバーネット・ニューマンの《英雄的にして崇高なる人》といった抽象表現主義絵画の大画面の傑作を髣髴させる(2)。この作品は2007年に甲南大学ギャルリー・パンセで個展を行うことになった際、そのスペースの大きな一壁を意識して制作されたものだったが、巨大な画面への取り組みは、岸本がかねてから切望していたものだった。さまざまな制約からそれはそれまで実行されなかったが、2007年にそのようにして岸本が自らのスケール感覚を十全に発揮する場を得たことで、この《NARAI−Hidden Dragon》は生まれた。 この作品では、所どころに青や赤の覗く緑色のフィールドが画面全体に広がっている。上端部では茶褐色が上塗りされており、それが画面に重厚感をもたらしている。下端部には、間隔を狭められた赤い二本の太いストライプが互いに支え合うようにして走っており、上端部の茶褐色の視覚的な重みをしっかりと受け止めている。そうして画面は上端部の茶褐色の領域と下端部の二本のストライプの効果によって、弛緩することなく引き締められ、圧倒的なスケール感の中で、程よい緊張感を持った統一性が生み出されている。
2000年頃以降の岸本の絵画におけるストライプの使用は、フランク・ステラの仕事に直接的な先例を求めることができる。しかし、それは影響関係とまで言えるものではなく、知識としてステラのストライプは知っていたという程度のものだと岸本は言う。特に《NARAI−Hidden Dragon》のストライプについて見れば、そこにはステラのような「パターン」的な性格はなく、画面を活気づけ統一する作用を担っている点では、垂直/水平方向の違いはあれど、むしろニューマンのストライプに近い。いずれにせよ岸本によれば、彼のストライプは、抽象表現主義のオールオーヴァーネスに取り組んできた「自身の制作過程から捻出された形式」(3)であり、そうして岸本は、ニューマンやステラによる先例との関係性の中で、ストライプというモティーフの新たな意義や構造を探ってきている。
1995年以降、岸本は油絵具に蜜蝋を混ぜるエンコースティックの技法を一貫して採用しており、《NARAI−Hidden Dragon》でもそれが用いられている。岸本とエンコースティックとの出会いは、1994年の彼のアメリカ旅行に遡る。その時訪れたワシントン・ナショナル・ギャラリーで、岸本はブライス・マーデンの白いエンコースティックの絵画を見た。岸本の言葉を借りれば、彼は「その白塗りの画面の奥底から発せられる光のようなもの」(4)に衝撃を受け、エンコースティックの魅力に目覚めたという。蜜蝋は、「くすんだ透明感」とでも言ったらしっくりくるような二重的効果を岸本の絵画の画面にもたらした。蜜蝋が混ぜられることで油絵具のギラギラした光沢は消え、マットな表面になる一方、蜜蝋の成分は油絵具と混ぜられたあとも、その半透明な物質性をある程度示す。《NARAI−Hidden Dragon》では、そのような蜜蝋の二重的効果によって光を内に含んだ緑の色面が大きく広がり、一見したところ浅いながらも単調な平板さに堕することのない含蓄豊かな絵画空間が作り出されている。
2007年の《NARAI−Hidden Dragon》から遡ること三年、岸本のストライプは2004年以降、注目すべき変化を見せ始めていた。それまで画面のあちこちに走らせていたストライプを、ある程度規則性を持って、まとまった形で用い出したのである。2004年の《Zの旗》では、縦長の画面の下半分が、ほぼ等間隔に横方向に配された黒のストライプで覆われている。そうしてこの作品では、上半分の青の色面と下半分の黒のストライプ群が対比され、それらが拮抗しつつ優れた調和を見せている。
さらに、2004年以降の岸本のストライプを一本一本のレベルで見て行くと、それまで岸本は構造上「地」に対する「図」としてストライプを引いていたのに対し、それ以降、その関係を曖昧にし出していることに気づく。《Zの旗》では、黒のストライプとストライプの間に青が上塗りされており、見方によっては、青く塗られたその部分もまたストライプとして見ることができる。かくしてこの作品の画面下半分では、黒のストライプと青の領域の間で、図と地の関係が反転したり、また元に戻ったりを繰り返す。あるいは、青の領域も青のストライプとして、黒のストライプとほとんど対等に存在しているかにも見え、そうなると、その青が画面上半分に施されているのと同じ青であることから、この作品における上半分と下半分の拮抗的調和はさらに奥深さを増してくる。
2009年に描かれた《石虎将軍》は、上記の構造の興味深い展開を見せる作品である。グレー掛かった薄茶色の層の上に、青色が置かれている。その青は、画面上端中央部から下端ほぼ全体にかけて色面として大きく広がっているとともに、画面右側と左側ではストライプとして塗られている。そこでも、その青のストライプをめぐる図と地の関係は曖昧で、青のストライプの周囲の薄茶色の領域に注目する時、それらもまたストライプのように見え、画面上ではそれら二種類のストライプが拮抗している。さらに、それらのストライプ群と中央に開けたフィールドが互いに作用を及ぼし合い、《石虎将軍》では《Zの旗》などと比べて構造的により複雑で、より活力に富んだ空間が生み出されている。
今回の展覧会の中心となる最新作《湖のひみつ》(2013年)では、ストライプに関してさらに大きな変化が現れた。岸本は彼のストライプをこれまで水平方向に引いてきたが、この作品において、ストライプを初めて垂直方向に描いたのである(5)。
この作品では、《NARAI−Hidden Dragon》を想起させる巨大な横長の画面を、《石虎将軍》や2011年に描いた《RED BARON》の延長上にひとまず構成したあと、左端から二本の黒のストライプを横に画面の三分の一ほど走らせ、その後、右端で同じような黒のストライプを画面を縦に貫いて引いている。岸本のこの新しい縦のストライプは、画面を分割するというよりは、画面を、その物理的な境界を越えて上下方向に伸展させるような作用を持っている。しかしながら、その作用が過度に強くならないよう、左側の水平方向の二本のストライプが遠くから抑制を効かせている。そこでは、画面中央やや右寄りに描かれた青の大きな色斑が、緩衝地帯のようにして左側の横のストライプと右側の縦のストライプの間を取り持つ働きをしている。
この作品における上述の三つの要素(横のストライプ、縦のストライプ、両者の間の大きな色斑)の組み合わせによる画面構築の試みは、岸本の絵画の新しい展開として刮目に値する。しかしながら敢えて言えば、縦横の黒のストライプは形体的にも色彩的にもいささか自己を主張し過ぎていて、作品全体として一体化した構造をなすまでに洗練されておらず、それぞれの存在が画面から乖離気味であるように感じられる。その点でこの《湖のひみつ》は、岸本がさらなる境地へと至るその前駆的ないし移行期的な作品なのかもしれない。
その時が来るのかどうかは岸本が今後自らの仕事によって答えていくほかないが、彼が見事それを果たした時、岸本吉弘は絵画というものの現在における一つの確固たる在り方を、我々に堂々と示して見せることになるだろう。
(註)
1 岸本吉弘「オールオーヴァー絵画の展開 ブライス・マーデンの作品を中心として」『基礎造形』17号(2009年2月)、19頁。
2 岸本自身は、《NARAI−Hidden Dragon》の制作においては、とりわけポロックの《壁画》(1943年、油彩・キャンバス、243.2 x 603 cm、アイオワ大学美術館)を意識していたという。
3 岸本吉弘「制作ノート 2つの個展から」『神戸大学発達科学部研究紀要』11巻1号(2003年)、137頁。
4 岸本吉弘「絵画考 制作の現場より」『神戸大学発達科学部研究紀要』8巻2号(2001年)、235頁。
5 実際のところ、岸本は2008年の二、三の小品においてストライプを直感的に縦に引いたことがある。しかし、それらは孤立した作例であり、《湖のひみつ》での縦のストライプの導入は、着想や構造の点でそれらとは関係がない。
|