制作に蛍光顔料を多用します。
あたかもそのものが光り輝くように見えるのは、
蛍光色の物体に光があたったとき、その光のうち紫外域の光線や紫や青い波長域の光線が吸収されて、
別の可視域で放出されるからです。
人工的な色です。
無意識に使用していた蛍光色に着目すると、そのような人工的な色彩から、不健康、浅はかさ、悲しみ、<
非永続性、毒・・・を感じていることに気づきました。
個人的無意識です。
にがいだけのジェリービーンズ。
オレンジの味がしないオレンジジュース。
花屋で色水を飲まされているスイトピー。
凍えるような寒さのなかでも咲き続けるように改良されたパンジー。
個人的無意識を意識の表層に目を向けるとこのように翻訳されます。
ただ、このような浅はかで、非永続的な世の中を享受することに魅力を感じている自分がいます。
小さな自分の世界で個人的無意識を見つめる作業としての制作に、さらに可能性を与えるとすれば、その
深部に存在する集合的無意識に思いをはせることも興味深いと思いました。
「表象可能性の遺産として、個人的ではなく、人類に、むしろ動物にさえ普遍的なもので、個人のこころの
真の基礎である」
「人間の普遍的無意識の内容の表現のなかに、共通した基本的な型を見出すことができると考え、ユング
はそれを「元型」と呼んだ。」
「・・・つまり、われわれ人間の知的なレベルではなく、もっと深いレベルにおいて、原始的な心性に
通じる、表象の可能性が存在し、それらを、ある程度、類型的に把握することが可能である・・・」
われわれが毎日を生きるうえで、「神話」や「信仰の対象」のとらえ方が多様化し、ユングの生きた時代
でいう「普遍性」の対象が、そのまま現代に当てはまるかは少し修正が必要かもしれませんが、それが
何らかの視覚的イメージに昇華したとしても、現代における「元型」を可視化したものに他ならないの
かもしれません。
今回の展覧会にあたり、人の意識や無意識の領域にチャレンジする意図はありません。
魅力を感じるこの人工的に光り輝く色彩を、ただ自分だけのために研究してみました。
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