ここに並ぶのは、人が放置したもの、廃棄したものたちを写しだしたものです。
かつては人が必要としたもの。人の手の触れる位置にあったものたちです。
撮影を始めた頃の私は、当時の傷を埋めるために写真を撮っていました。
それらを自分よりも惨めな存在だと決めつけ、撮影することで自身の存在価値を高め、慰めていました。
見下せるものを見つけては気持ちの安定を図ろうとしたんです。
今思えば滑稽ともいえる行為で私は救われていました。
そして少しずつ少しずつ経過する時の中で写真を撮ることが救いではなくなった頃、私が縋(すが)るように捉えていたものたちの本当の在り方に気が付きます。
尊いもの、汚いもの、醜いもの、儚いもの。
写真を撮り見返す度に、人が生きるために必要とされる行為と、時には残酷ともいえる現実が否応もなく目の前に突き付けられ、知らない誰かが見え隠れしては、いつかの私もそこにいたのかも知れないと思うと時々苦しくなりました。
映っていたものたちを今まで知らない振りをしていたのは私だけだったのかも知れない。
傷ついていた私が必要としたこと。
今のわたしだから見えたもの。
「もののあはれを知る」 わたし初めての個展です。
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