八代清水六兵衞は、六兵衞襲名前の柾博時代から朝日陶芸展グランプリをはじめとして目覚ましい活躍を続けてきた。その作品は主にタタラ成形された器胎にスリットを入れ、面を切り取るなどの行為を施すものであった。こうした外壁を操作する行為は構造上の強度を弱めると同時に弱まった強度が焼成による変化を促すことになる。この構造とゆがみの関係の探求を通じた、意識と偶然の差異によって成立するのが清水の作品である。それにより清水はやきものに内在する特性や存在性を開示してきたのである。
さて、本展に先立って東京、京都、大阪の髙島屋を巡回する清水の個展が開催された。清水はそのあいさつで「前回は内部構造を意識した作品を中心に展開しました。今回は二つの造形要素からなる作品を中心にしています。支えるものと支えられるもの、二つの要素の接し方と関わり方がテーマです」と述べている。ほぼ同時期の個展であることからこのコンセプトは本展にも共通するといえる。これらのテーマを通じて近年の清水が試みるのは、やきものがやきものとして成立する要件をより視覚的に明確化して提示することである。
「内部構造」への意識とは器形を「器」へと変換させる作用の相対化に他ならないが、「二つの造形要素」からなる形とは、一般的な陶磁器の造形に即していえば「高台」や「口」、「取手」、「蓋」などの部分と全体の関係における再検証に基づくものである。本展出品予定の《黒泑陶姿D》では、底部から上部にかけて器胎中央部を方形の構造物が貫いている。これはまさしく高台と胴部との関係を示唆するものであり、同時に「器型」の外形に対する内部の働きかけを方形の構造物が担うことで「器」というものの意味もまた意識化させられる。また、本展の中核をなす一連の壁面作品《Wall Impression》は、いわば二枚の板状の形態の重なりと奥行が織り成す構造物である。これはやきもの特有の中空の構造、つまり壺のように手前と反対側の面が内側に空間を抱えつつ有機的に連なる立体物を、造形要素に還元して再提示したものだということもできる。というのも、焼成により板の中央部分は微かに歪み凹むが、その変形した板が、手前と奥を繋ぐ空間の存在(器性)を暗示させるからである。さらにこの器性を有した壁面作品は、少しずつ形態を変えながら互いにリズムと関係性を持って連なることで、群として物と物とが関連する空間を形成する。そもそも日本の空間はやきものを含む調度品の置き合わせや関係性において成立してきたところがある。清水の壁面作品が連なって生まれる空間は、それらが確かなやきものの質感と色彩を有しているからこそ、日本の空間構造に対する記憶と結びつき、そこに緩やかな相似形を示すのである。
こうした清水の仕事は、いやおうなく現在性と歴史性との境界、それらを取り巻く文化的環境もまた横断するものである。その意味で、清水が八代目の六兵衞として歴代の仕事を客観視しつつ、やきものを作ることを通じて現代の自己の確立を目指してきたことが一つの成果として結実し始めたように思われる。
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