光の粘土、あるいは「同時」について
私にとって、油絵具は粘土のようなものだ。かつてデュシャンが言ったように、絵具はすべて工業製品となり、ゲルハルト・リヒターが言ったように、工業製品の組み合わせでしかない絵画はすべてレディメイドである。だがもともと絵具の根幹をなすほとんどの顔料は土に由来する。光の差さない粘土の中が暗闇であるように、絵具のチューブの中も暗闇である。絵画とは、絵具というかたちなき粘土的物質を暗黒から解放してなんらかの表面に押し広げ、その質量的組織化を通して非再現的な光を孕む空間を生み出す術にほかならない。物質的な粘土でもって非物質的な光を宿そうとしない絵画は、図像表現、行為の痕跡、自己主張ではありえても、私にとっては絵画ではない。光こそ「見ること」を支え促すものであり、絵画は「見ること」のあり方を問い続ける営みだ。この絵画観は古典的すぎるだろうか。私淑した光の画家・木村忠太は、ポロックの絵を「あれは絵じゃない」と言い切った。マチスならもっと絵具と粘土を近づけただろう。「彫刻家が粘土を最初の塊から引き伸ばして捏ねるように、私は彩られた面の量(塗ること)を選び、デッサンの感じ(描くこと)に適合させる」(*1)と。
忙しくてなかなか訪れることのできなかった畏友・渡辺信明の自宅兼アトリエは、平城京北東の佐紀丘陵にあるコナベ古墳とそれを囲む池のすぐ西側にあった。ネスターマーチンという煙突付の大きな薪ストーブのあるリビングルームの窓からは、季節や時間帯に応じて色と表情を変える池の水面と、樹木で覆われたコナベ古墳のこんもりした墳丘が手に取るように見える。古墳は高さ20m、長辺が200mを越える大型の前方後円墳で、前方部を南に向けて横たわり、渡辺邸はそのほぼ南端に面している。コナベ古墳の東側にはウワナベ古墳、北側にはヒシアゲ古墳があり、渡辺家を含む民家群の西側には大きな池の水面が広がっている。驚くべき立地というほかない。リビングの奥にあるアトリエも、作品の搬出口を兼ねた広く長い縁側を通して池と古墳の風景につながっている。この土地で暮すこと、歩くこと、菜園をつくること、モノを見て触れて感じることが、文字通り渡辺の絵画制作と地続きになっている。渡辺は言う。
「四角く切り取られたイビツな古墳島は、朝もやの中に静かに佇み、西日に燃え、夜は大きな獣の影となり、不思議な遠近を目の前に突きつけてくる。そして近くと遠くを同時に誘うこの日常風景は、いつしか私の絵の制作へとつながり始めている」(*2)
衒うことなく、描くことと隣り合わせに発せられる渡辺の簡潔な言葉は、暮しの中での知覚と絵画の動的な交差をストレートに教えてくれる。
「毎日の散歩。リード先の犬の細やかな動きと、それを取り巻く風景が互いに交錯する状態を、私はとてもおもしろいと思う。そんな遠くと近く、その両方を同時にとらえて歩くという感覚は、じつは絵を描くことに少し似ている。」(*3)
揺れ動くリードと犬と風景の同時性を知覚するまなざしは、庭の複数の枝とその向こうの風景を同時に見る。
「夕暮れの空に、取り残されたいくつかの柿の実が吊り下がる。細枝はあたかも抵抗体となって、見たこともない光を放ち始める。それは空の裂け目であり、放電する稲妻であり、そして圧倒的なモノである。」(*4)
重なる枝は実体ではなく裂け目となり、花や実は穴となり、枝と枝のあいだがヴォリュームをもった実体になる。これは、安定した遠近法的な知覚ではなく、身体ごと見られる側の世界に入り込むことで得られる感覚だ。手前と向こう、左右と天地、図と地が入れ混じり、入れ替わるのは、その運動の中に見る者も巻き込まれてこそ可能となる。これは、渡辺が描くことのなかで実践していることそのものだ。筆やナイフの動きを止めた絵具の隙間が枝であり、キュウリやトマトや茄子のつかのまの輪郭であり、同時に下塗りの色彩が意図を越えて相互的に現れる裂け目となって、画面を光の粘土の動的な複合体に変えていく。
渡辺は近くと遠くの「同時」にこだわる。この同時性は、見える面と見えない向こう側の同時性、自分の日常と地球の裏側で起きていることの同時性を引き受ける覚悟をふまえていると渡辺は言う。これは、彼の絵画実践が、フォーマリズム的な次元にとどまることなく、丁寧に日常を生きることと地続きであることによって裏打ちされている。この同時性の実践のなかで、渡辺はさらに反転を求める。既知のものが未知のものに、部分が全体に、そして自分が自分でないものに。
「作品は部分と全体がある瞬間にひっくり返ることが重要である」(*5)
生きることと描くことが限りなく反転し合う地平に達した渡辺信明は古典的すぎるだろうか。
(/本文1935字)
*1 Henri Matisse, Écrits et propos sur l’art, HERMANN, Paris, 1972, p.247
*2 渡辺信明「古墳マド」2010(以下、渡辺信明のステイトメント集からの引用はタイトルと年代のみ記す。)
*3 「遠近散歩」2013
*4 「FILAMENT」2017
*5 「放電の庭」2015
井上明彦(美術家)
以下は参考まで。省略可:
マチスの原文
“Dans mon cas, peindre et dessiner ne font qu’un. Je choisis ma quantité de surface colorée et je la rends conforme à mon sentiment du dessin comme le sculpteur pétrit la glaise en modifiant la boule qu’il a fait tout d’abord, l’étirant d’après son sentiment.” Henri Matisse, Ecrits et propos sur l’art, p.247
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