□ コメント
「個別化する」
ふた昔前にマイケル・フリードが絵画としてのアイデンティティーを決
定するものは云々(芸術と客体性)言っていたが、その決定以前に立ち
戻って、これを抜きにしてはアイデンティティーはありえない、つまり
個別化するということがなければ成立しないということ。だが、もちろ
ん、かの諸作品、絵画についてアイデンティティーの欠如などを言って
いるのではない。私なりにやってみようとしているだけである。絵画の
個別化、「この絵」と「この絵ならざるもの」−人間でいえば自我の個
別化(「分裂病の現象学」木村敏著 弘文堂)という作業を
経る必要が
ある。
マチス、ステラ、ポロックなどが絵画の生命を言っているのだが、絵画
の生命という観点から言えば、絵画と壁とは而二不二(ににふに=ふた
つであって、しかも、ふたつにあらず)、魚と水のように切り離せない
関係にある。こうも言える、依正不二(えしょうふに=主体とそれを取
り巻く環境とは一体不二であって、別々にあるのではない)、さらに主
客不二としてある。こういった関係性を踏まえたうえで、絵画を主体と
して個別化を図った場合、「先ず何らかの壁があって、そこに絵画が来
る」のでは決してない。あくまでも「絵画が壁を決定する」のだ。言わ
ば矩形の内部の問題に加えて、この絵は「どのような壁に」、「如何様
に」在ろうとするのかが重要な問題として浮かび上がってくる。
壁に絵が在るということは、その絵の個別化、すなわちその絵を取り巻
く環境(壁もそうだが、観者、他の絵等々)とは一体不二として在ると
いう、矛盾を抱えて在ることになる。だがしかし、成熟した個別化が図
られなければ不二とはならない(自閉する)だろうし、それが成就され
た時こそ「WHAT A WONDERFUL WORLD」と なるのであろうと思われる。 |