[黒箱]が生まれたのは 2002年の秋のことでした。
その時 何が 起こったのか わかりませんでした。
けれども、[黒箱]ができた時の 奇妙な感覚が 残りました。
左耳から右耳へ “風”が 一瞬 通り抜けるような カラッポの感覚でした。
“風”の感覚の正体が知りたくて、[黒箱]の出来た作業手順を 繰り返しました。
しかし 「黒い箱」は たくさんできましたが、[黒箱]は 生まれませんでした。
“風”の感覚も忘れてしまったある日、二つ目の[黒箱]が生まれ、あの“風”が
頭の中を通っていきました。
“風”が 私に思い出させたのは、[黒箱]以前のアトリエで格闘する私の立ち姿でした。
色や形で表し得ぬものを 求めながら、逆に 色や形に振り回されていた姿です。
そして 作業手順を反復する年月は流れ、母が認知症になり、
[黒箱]が 生まれてくるようになりました。
生まれてきた[黒箱]を眺めていると、時間の流れの無い あの“風”が吹く場所(ゾーエー)から見つめ返されているように 感じます。
以来、[黒箱]は 私に“宙返りを しなさい…”と ささやき続けています。
(*) 神話学者のカール・ケレーニーによれば、古代ギリシャ語は生命を意味する二つの単語「ビオス」と「ゾーエー」をもっていた。
「ビオス」biosというのはある特定の個体の有限の生命、もしくは生活のことである。
これに対して「ゾーエー」zoeは、そういった限定をもたない、個体の分離を越えて連続する生命、個々のビオスとして実現する可能態としての生命だという。
木村敏著「心の病理を考える」より(1994年出版 岩波書店、p.121)
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