小川佳夫の作品は、抽象表現主義、カラーフィールド・ペインティングとの関連で語られることが多い。確かに小川自身も学生時代にはそれらを興味深く見ていたし、実際、芸大の卒業制作はアクリル絵具によるドリッピングによる作品であったという。しかし、それは単なる興味本位の後追いとは無縁だと思われる。シュルレアリスムの強い影響から生まれた抽象表現主義は、それまでの絵画では表現し得ぬ、心の内面、精神の領域を絵画化した。小川が自身の絵に求めていたものも内なる精神の問題である。形に成し得ぬ精神の世界を絵画に託すヒントを、抽象表現主義の作品から得たのであろう。
小川はもともと思索の画家である。その目は外の世界を見つめながらも、常に反転し、精神の深い闇に降り立つ。外界の美に対し、その感動を直接絵画化するのではなく、その美を受け止める自身の内面に興味があるようだ。それは、世界をどう見るか、どうとらえるか、という問題につながり、さらには生と死、光と闇の問題へとひろがる。小川にとって絵を描くということは、広漠たる精神を探索する行為であり、日々新たな世界との邂逅につながるのである。それはまた、詩人の鷲巣繁男がいう「求め得ぬ存在を探索してゆく永遠の漂泊の影」ということにもつながる。精神の深い闇に感性の測鉛を降ろし、不可知の領域を探索する。幾重ものベールに包まれ、秘匿された精神の本源を感知し、そのほんの一端、
欠
片
でも絵筆によって開示しようとする。それは到達し得ぬものに至らんとする、永遠の彷徨にも似た行為であるといえよう。しかし、この不可知の領域への不断の働きかけによってのみ、本質、根源的なるものに近づくことが可能となるのである。
沃野にも似た豊かな色面に、突如、啓示のように出現する鮮烈な鋭い線。それは精神が発する光を思わせる。この、精神の光を顕現させたかのような作品を見ると、小川の、精神的なるものへの強い希求が見て取れる。敷衍して言えば、絵画は精神的な営みの表れであることが実感されるのである。
小川は伯父である小説家の小川国夫の感化の下で、自己の資質を磨いた。ちなみに二人はクリスチャンである。小川国夫はキリスト教への強い関心と、深い洞察によって、心の内奥の光と影をテーマにした小説で知られる。青年期、内なる闇から脱出せんと、ヨーロッパに渡った。そして地中海の強烈な光が充満する世界を体験する。かの地で、眼を射、影を失うばかりの明るさのただなかで、光の奥が闇であることを知ることになる。言うまでもなく、光は神の暗喩でもある。この体験はまた、光の高みのただなかで己の闇を見い出し、失墜したイカロスの神話にもつながる。
小川もまた、伯父の足跡を辿るように30代でパリに渡った。以来、12年間もの長きにわたり孤独の内に沈潜し、ひたすら制作に没頭してきた。「伯父から『精神のバトン』を渡された」とする小川が、風土、文化、世界観の違いを肌で感じ、咀嚼し、内面化させ絵画に結実させるには、この長い雌伏の時間が必要だったのである。また、この期間に培った、彼我の文化を相対的に見つめる複眼の眼差は、改めて自己の精神、アイデンティティを強く意識することにもなった。2003年に始められた現在のスタイルは、このパリ時代で生まれた。ヨーロッパの分厚い空間で鍛えられたマチエールは、物質的な強さを持ちながらも、漆器のような艶としなやかさを持つ。その豊かな色面に引かれた線は、書がもつ自在と緊張を併せ持つ。これにより、強い物質性を感じさせながら、極めて濃密な精神的気配を内包するのである。
小川は、「聖と性が、闇と光が互いに孕み合う、人の『生』。その瞬間を画布に写し取りたいと願っている。」とする。それはまた、光の奥に闇を、また闇の底に光をみた小川国夫の目指した世界でもある。
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